デジタル化、ネットワーク化、オープンアクセス、大学全入時代、大学法人化 etc... 社会の急激な変化は、大学図書館のみならず、大学や出版、さらには「知」のあり方に変化を迫ろうとしているのではないでしょうか。 「知の変容と大学図書館」と題する今回の連続セミナーは、こうした状況を背景に、 これからの大学のあり方、出版の方向性、そして大学図書館の可能性に迫ります。 皆さまのご参加をお待ちしております。
※ "ライブラリアン・セッション" 発表募集については、次のとおりです。
コンシェルジュといえば、ホテル宿泊客のあらゆる要望に対応する「よろず相談係」「総合的なお世話係」の職務を担う人の職名として使われている。 コンシェルジュについて紹介した本としては『わたしはコンシェルジュ:「けっしてNOとは言えない」職業』 (講談社、2001) がある。 私もこの本のように京都大学教育学部の図書室において利用者の要望にできるだけNOと言わないように心がけている。 ところで、実際にコンシェルジュを配置している図書館が誕生した。 今年5月に東京都千代田区が、新しい千代田図書館をオープンし、全国で始めて図書館コンシェルジュを置いたのである。 今回、私は大学図書館にコンシェルジュの図書館員を配置するという考えについて述べたい。
「闘病記」という単語自体は古くから使われてはいたようであるが,その記述が研究対象となり, 存在が広く認識されるようになってきたのはこの10年ほどであると考えられる1)。 「闘病記」と呼ばれている資料群についてその性格をまとめ,現在図書館でどのように用いられているかを調べる。 また,愛媛大学図書館医学部分館に設置された「闘病記文庫」の設置までの経緯と活用事例について報告し, 医学教育に資する資料としての「闘病記」について考察する。
1) 2007年9月現在,CiNiiで「闘病記」という単語を含むもっとも古い文献は1952年であるが, 1996年以前のものは全108件中15件にとどまる。「闘病記」で検索すると146件がヒットし,うち1996年以前のものは32件になる。
図書館の自由、という話題が私たちの業界ではよく語られます。 その多くの場合は、資料の収集、提供について、公権力から制約を受けないための議論がなされているわけですが、 過去の歴史の中には、図書館員自身が自らの思想に基づいて図書館の自由を侵害した例が散見されます。 ナチスによる焚書の際、ナチスの思想に賛同する図書館員が焚書リストを作成していた事例、 日本で1928年の図書館大会の際に、図書館が自ら進んで検閲を行う宣言を行ない、 また終戦直後にGHQの指導を待たずして、右派よりと独自に判断した資料を不必要に焼却していたこと、など。 私たち図書館員も人間ですから、それぞれ思想や信念を持っています。 そして、それを決して業務に持ち込んではならないことも理解しています。 しかし、上記のように戦争など、憎悪や闘争意識といった感情が煽られる非常事態に、 良識ある行動が自分はとれる、と果たして断言することはできるでしょうか? ナチス期のドイツの大学図書館の状況も併せて見ながら、みなさんと一緒にもう一度この問題を考えてみたいと思います。
メンター制度とは,「知識・経験の豊富な人が,未熟な人に助言や対話を行うことによって, 一定期間継続して支援する育成・指導方法のひとつ」であるメンタリング (Mentoring)を取り入れた人材育成方法である。 図書館員養成にメンター制度を導入している英国の図書館・情報専門家協会 (Chartered Institute of Library and Information Professionals: CILIP) の事例を取り上げ, 図書館員養成におけるメンター制度の有効性について考える。
大学図書館問題研究会京都支部のWebサイトは2000年の開設 (第1期) 以来、 2003年の第1回リニューアル (第2期) 、2006年の第2回リニューアルを経て、現在 (第3期) に至ります。 第2回リニューアルでは次のような3つのコンセプト (基本構想) の実現を目指しました。
今回は第2回リニューアルを担当した立場から、これら3つのコンセプトを実現すべく施した、 現Webサイトのデザインとその設計思想について、具体例を交えながらお話したいと思います。